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了超と休圓(2)-山口景好寺- [人物]

了超に続いて同じく宍戸景好の次子と所伝を持つ景好寺の開基休圓について見て行きますが、所伝などがまとまっている『小鯖村史』[1]から取り上げます。

景好寺の概要

古剣山景好寺はかつての小鯖村、現在の山口市小鯖地区に残る浄土真宗本願寺派の寺院です

現在景好寺が存在する下小鯖毛割の寺地は、2代了哲の時代に移転したと伝わる場所のようで、創建当初は鳴滝中河内にあったとのことです。 『小鯖村史』に掲載されている歴代住職の一覧から、掲載されている最後の16世住職の名は宍戸姓となっていますので、景好の末裔を名乗られているものと思われます。

景好寺の縁起~『小鯖村史』より~

『小鯖村史』には、景好寺の縁起として恐らくは各種の所伝をまとめたものが掲載されていますが、諸矛盾についてもそのままとなっていますので、解釈には注意が必要と思われますが、その概要は以下のようなものとなります。

宍戸元秀5男の景好が元和年中に別家を建て、小鯖の領主となり、景好隠居後には嫡男景昭が跡をついだ。 景昭致仕後に、小鯖は宍道元兼の領地となったが景好は小鯖に閑居していた。 景好は元和8(1622)年9月9日に51歳で亡くなる。 法名青谷院古剣宗快居士、墓は景好寺門前左側の五輪塔。 景昭は彦根に留まり、その嫡子四郎左衛門は井伊家に仕え、石ヶ崎町に住して150石。

景好の次子右近景治は文禄2(1593)年の生まれで、徳山の毛利就隆に仕えるが、29歳のときに出家を望み、徳山を去って彦根に赴き、平田明照寺の住持に師事して大室休圓と号した。 その後、京都の端坊に移り、諸国を遍歴した後に郷里に戻って山口の端坊に止まっていたが、父の旧領で墓所もある小鯖村で、一宇を建て、寛永18(1641)年に49歳で景好寺と称し、古剣山と号したが、公称することはなかった。

29年後の寛文9年、休圓は上洛し興正寺御門主良尊円超上人の代、5月16日に寺号免許を受けた。 その際に父景好が叔母の長寿院に贈った直筆の書簡を賜る。 休圓は延宝5(1677)年11月4日、83歳で亡くなった。

このように景好の没年やその年齢も具体的に伝えていますが、それがどのようなものに裏付けられているのかは不明です。 ただ、景好寺の古剣山は景好の法名からきていることがわかります。

一方で、例えば”景昭致仕後に、小鯖は宍道元兼の領地となったが景好は小鯖に閑居していた”といった内容は宍道氏が小鯖村を領したのは寛永2年の給地替えであること[2]、寛永3年に善左衛門が萩藩にいることも確認できます[ 史料33 ]ので、隠居していた景好が景昭の致仕後、元和8年に亡くなったとすることに矛盾があります。

また、文禄2年の生まれで延宝5年に没すると83歳という享年も一致せず、景治が徳山を去ったとする29歳の時期も元和7年となってしまい(没年から逆算すると元和9年)、彦根で頼るはずの兄善左衛門の致仕よりも前となってしまいます。 景昭、景治兄弟の名乗りも既に述べたように元真、元頼の名前と比べ、それを裏付けるものが他には見られないということになりそうです。

元真の子の家系についての記述では、150石とあるのは200石の誤りであり、石ケ崎町に移ったのも宝暦9(1759)年であるようです[3]。 これについては、概ね事実を伝えていると見るか、あるいは後年に至っても彦根藩の宍戸氏とつながりがあった証左と見るかは難しいところです。

宍戸系図と景好寺

元頼についての系図の記述同様に、景治の所伝にも就隆へ仕えたことや彦根明照寺の名前も見えますので、景好の次子が就隆に仕えたことは時期は別としてある程度確かであると言えるのではないでしょうか。

前回も触れたように、景好寺の名前についてはその記録に偏りが見られます。 実際、宍戸氏の各種系図のうち、基本的に当主の子供以外を掲載しない、よって景好の子供以降の系譜は伝えていない「三丘宍戸家系」[ 系図A ]にのみ景好寺は景好の埋葬先として現れるのみです。 また、景好を寛永10年7月19日に没したと伝えるのも同系図のみであり、他の系図ではその没年には触れず、7月19日没、そして法名古剣宗快と伝えるだけです。 しかし、当の景好寺が元和8年、しかも9月9日没と伝えるのですから、系図類の編纂時には景好寺以外の情報源があったのは確かであろうとは思われます。

その他、例えば『続群書類従』所収の「宍戸系図」[ 系図C ]はその奥書から貞享年間のものとわかります。 京都周辺で亡くなったらしい景好三男の良春の没年は延宝4(1676)年と伝えていますが、寛文9(1669)年に景好寺が正式に寺号を得、開山休圓が延宝5年に亡くなったとすることに関連する記述は見受けられず、景好の次子について明照寺に住まうと伝えています。

また、景好の院号について、「三丘宍戸家系」が芳春院と伝える一方で、景好寺には青谷院と伝わっているようです。 この点も単なる誤伝の可能性もありますが、宍戸氏本家に伝わる別の景好の菩提所があったとも考えられそうです。

大室休圓の正体

さて、景好の次男元頼が了超を名乗り彦根明照寺の住持となったのであれば、景好寺を開いたのは一体誰になるのでしょうか。 了超と休圓の所伝からはほぼ同世代の人間であることは確かですが、それぞれの立場から言っても同一人物ということは考え難いところです。 景好寺の所伝では休圓こと景好の次男景治は彦根に赴き、明照寺で剃髪して京の端坊に移ったとしています。

輝元婦人清光院のための菩提寺である清光寺は、興正寺准尊の子が住持を務めており、これは同婦人の姪の子という関係でもあります。 同時に景好の子供たちは皆、明照寺了超について伝わるのと同様に当時の興正寺門主准秀、萩清光寺住持准円、良重の従兄弟という立場にあるわけです。 しかも興正寺末の山口端坊の末寺に位置する景好寺について、その縁戚でもある宍戸本家が存在に気づかないことはあり得ないのではないでしょうか。

ただ、休圓ではなく、了超については、景好次子元頼とした場合に、諱が通元と伝わる点は、初名の元頼に由来するとしても毛利輝元の偏諱であると考えられる「元」の字の扱いとしては適切でないように思われます。 彦根藩宍戸氏初代知真が明照寺との関係を「遠縁」と伝えるところと合わせて気になるところです。

景好寺の再興

『防長寺社由来』の景好寺の書出[4]では2世了哲を再興としており、また『小鯖村史』でもこの頃寺地が移転したことが記されています。

しかし、その『防長寺社由来』の景好寺の項は奇妙なことに宍戸景好との関係については全く触れられていませんし、山号についても触れられていないため、この当時から古剣山であったのかどうかも確認できません。 同じく小鯖村内にある福厳院(かつての春松院)が通直母に由来する寺の歴史を書出していることとは対象的です[5]。 書出当時が4世仁好の頃ですので直系であれば了哲は祖父の代、休圓ですら曾祖父の代でしかありません。 さらに、時が過ぎ、天保年間の『防長風土注進案』には開山にまつわる休圓とその兄善左衛門との逸話が登場します[6]。 特別な意図があって詳細が書かれなかったわけではないのかもしれませんが、『寺社由来』の時期には成立していなかったものであるのか、公表をはばかる理由が何かあったのか、気になるところです。 いずれにしても、比較的開山から近い時期の記録からたどれるものが少ないのは残念な限りです。

休圓によって景好寺が開かれたとする寛永18年は、元真が萩藩を去ったと思われる寛永14年からわずか4年後の話である一方で、正式な寺号免許を得たのはそれから約30年後となります。 確かに当時は正式な寺ではない堂宇といわゆる毛坊主も多く、これに対して萩藩が万治3(1660)年に辻本(萩藩での毛坊主の呼称)を禁止したために、寛文年間に多くの寺が正式な寺号を得たのも確かなようです[7]。 しかし、明照寺や端坊で修行したと伝わる休圓がそれまで寺号を得ない理由は薄いようにも考えられます。

まとめ

「二人目の」宍戸景好次子である大室休圓を開山と伝える景好寺について紹介してみました。 前項で見た通り、宍戸景好の次子元頼は平田明照寺12世了超として、近江の名刹を継いだと考えるのが妥当であるように思います。

しかし、一方で、休圓を宍戸景好とは全く無関係な存在と考えることも難しいのは確かですが、その狭間を埋めてくれる別の可能性を示唆する所伝が存在することが確認できました。 もうひとつの景好寺の由来については次項で取り上げます。

注釈

  1. 坂倉道義『小鯖村史』(小鯖村史刊行会、1967年)
  2. 「毛利四代実録」寛永2年8月13日の項(『山口県史』近世編 1上、1999年)、この時、宍道主殿助元兼に吉敷郡宇津木畑、大海、小鯖など3000石が与えられています。
  3. 「宍戸四郎左衛門家」(『侍中由緒帳』第6巻、1999年)では3代目の四郎左衛門の代に石原金五兵衛の屋敷跡に移ったことが記されています。
  4. 山口宰判 小鯖村 景好寺(山口県文書館『防長寺社由来』第3巻、1983年)
  5. 山口宰判 小鯖村 福厳院(『防長寺社由来』第3巻)
  6. 『防長風土注進案』第12巻 山口宰判 上(1960年)小鯖村、景好寺の項
  7. 防長浄土真宗の沿革(原文は『ねがいのなかで』所収 防府組 円通寺  児 玉 識(龍谷大学教授)とのことです)

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