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宍戸景好嫡流の系譜と彦根藩 [人物]

宍戸景好の嫡男善左衛門元真と次男元頼には彦根との縁が伝わります。 元真は寛永14年頃に萩藩を致仕したと思われますが、その系譜はその後彦根藩士として続きました。 一方、元頼は彦根にある真宗の名刹明照寺の住持となり、子孫が跡を継ぎます。

西尾和美氏の論考を頼りに[1]、まずここでは元真の事跡から彦根藩宍戸氏の概要までをまとめてみます。

系図に見る善左衛門元真

西尾氏が取り上げた宍戸氏の系図[ 系図F ]では、景好の嫡子善左衛門について

弟某於江戸与阿曽沼因幡守就春同族隼人助争論賜死之時、依公家之治不快於心退毛利家至江州没、有一子称四郎左衛門仕於井伊掃部頭

と多少詳細に書かれていることが明かされました。 一方、以前取り上げた宍戸氏の系図類では、元真、善左衛門として、彦根に隠棲したといった程度のことが語られるのみです。

元真の生没年は不明ですが、既に指摘した通り、毛利秀就の「宮仕衆」として慶長16年に見える宍戸弥太郎[ 史料18 ]こそが後の元真ではないかと考えています。 自身の兄弟や妻達、あるいは「宮仕衆」の同輩の生年などからも、文禄年間末期から慶長初期の間に生まれたのではないかと言えそうです。

元真の実母を示している系図はないように思いますが、生母が景好の正室であれば、村上景親の娘で、村上武吉、村上通康、河野通直、平岡房実といった戦国期の伊予関係者の多くの血を受け継いでいる存在でもあります。

元真の妻

元真の妻について宍戸氏の系図には現れませんが、萩藩の家老を務めた益田元祥の娘のようです。 益田氏の系図によれば宍戸善左衛門景好に嫁いだ娘は種子といい寛永3年5月14日に23歳で亡くなったとしています[ 系図Gので、種子の生まれは慶長9(1604)年ということになります。

元和6年には輝元、秀就から3年間の地下役免除を認めることなどを記した書状が宍戸但馬守、同善左衛門、益田玄蕃頭(元祥)に宛てて出されている[ 史料29 ]ことからもこの姻戚関係は肯定できそうです。

また、右田毛利氏の系図にも元倶の娘として宍戸善左衛門元真の妻とされる女性が現れます[ 系図H ]。 元倶の妻で、元真に嫁いだ娘の母が宍戸元続の長女であり、元真の従姉妹ということになります。 ただし、この女性は元真と「故あって不縁」とされており何らかの事情で元真と別れることとなったようで、慶安元(1648)年11月11日に亡くなったとされています。

萩藩退去まで

善左衛門としての元真の確実な初見は先に挙げた元和6年の地下役免除などを伝える輝元、秀就の連署書状になるかと思います。 その後、寛永2(1625)年の輝元の葬儀にも善左衛門の名が見えます[ 史料32 ]。

寛永3年の給地帳では宍戸善左衛門の名で厚狭郡山ノ井1200石ほど、吉敷郡中尾で150石ほどの給地が見えます[ 史料33 ]ので、寛永2年の藩内の給地替えで小鯖村を離れたと考えられます。

ただし、この給地帳では山ノ井については「上地」、中尾については「先地」と書かれているものがそれぞれ朱書きで消されているようですので山ノ井の給地を一旦失い、その代替として中尾を与えられ、後に山ノ井も再度給付されたということでしょうか。

その後、特に何の事績も知られませんが、西尾氏によれば、残された系図[ 系図F ]や書状[ 史料35 ]から寛永14年に末弟の粂之助が切腹を命じられ、それに関連して元真も萩藩を離れることとなったと考えられるとされています[2]。 継室と考えられる毛利元倶娘とは恐らくはこの時離縁となったのでしょう。

元真が彦根に居住したと各種系図などが伝えますが、実際に子の知真は後に彦根藩に仕えることとなります。 元真自身は系図が伝える通り、彦根で隠棲したまま没したのではないでしょうか。

元真と景昭

景好嫡男善左衛門の名として、元真の他に、景好寺に景昭という名前が伝わりますが[ 史料31 ]、このうち元真を実際に名乗っていたことはいくつかの史料から確認できます。

西尾氏が寛永14年の善左衛門兄弟の連署書状[ 史料35 ]に善左衛門元真と署名していることを紹介されていますし、益田氏や右田毛利氏の系図に娘の嫁ぎ先として善左衛門元真と名前が出ること、また、彦根藩に仕えた子が知真を名乗っていることも傍証と言えそうです。 また、元和年間に至るまで輝元から「元」の字が萩藩の家臣の多くに与えられていることからも景昭と名乗ったとは考えがたいと言えます。

ただし、萩藩の致仕後には毛利氏との繋がりを捨てるため、あるいは「元」の字の使用を憚って改めた可能性はあるのかもしれません。

彦根藩宍戸氏

元真の子は四郎左衛門知真を名乗りましたが、先にも述べた通り彦根藩に仕えています。 彦根藩の『侍中由緒帳』(以下「由緒帳」)[ 史料37 ]によると、明暦2(1656)年、井伊直孝の中小姓として召し出され、6年後の寛文2年に200石の知行を与えられたようです。

書出では生国を長門として申し出ていることから、元真が萩藩を致仕する前の生まれであろうと考えられます。 実母が益田元祥の娘、毛利元倶娘のいずれであるかは不明ですが、いずれにしても幼くして実母と死別あるいは離別することになったと言えそうです。

知真の名は、父元真の一字と宍戸家の遠祖である八田知家から採ったものでしょうか。 知真の子孫は代々四郎左衛門、あるいは善左衛門を名乗っており、善左衛門景好の系譜を継ぐものであることは間違い無さそうです。 「由緒帳」では諱が示されていない者もいますが、示されている範囲では知真以降代々「知」を通字としています。 この彦根藩宍戸氏が江戸期に萩藩に残った宍戸氏各家と交流があったかどうかは不明ですが、萩藩にも後に知忠など「知」の文字を使う者も確認できます[3]。

知真の系譜は後に50石の加増を受けますが、そのまま中級藩士として幕末まで彦根藩に仕えています。 また、「由緒帳」で見る限りは、養子を迎えることもなく元真の血統が続いているようです。

なお、「由緒帳」の解題では、宍戸但馬守景好まで行き当たらなかったようで、但馬守について備前守元続の可能性を上げています。 ただし、同じく解題によれば「貞享異譜」には宍戸備前守の孫ともあるのは事実のようですので、彦根藩の宍戸家自身にもはっきりしない部分が多かったのかもしれません。

彦根藩平岡氏

平岡氏の系図では通倚の孫が徳山の就隆に仕え後に浪人したと伝わります[4]。

西尾氏は、これが宍戸元頼の動きと重なることを取り上げ、このことから景好を通倚の子である可能性を提示されると共に、出自の不明とする彦根藩平岡氏[5]とその関連を示唆する越智系図にも触れて伊予平岡氏との関係している可能性についても指摘されています。

確かに少なくとも元和9年には彦根藩の平岡氏が確認できますが[6]、現状ではそれ以上の史料は見当たらないということになるのでしょうか。

まとめ

宍戸景好の嫡男元真の所伝と、その後として、その子の知真以降彦根藩の中級藩士として続いたことを紹介しました。 「平田明照寺と遠縁之由」と伝える元真の弟元頼との関係についても、知真召出しのきっかけとなり得る事件と合わせて別項にて見ていきます。

彦根藩平岡氏についても、こちらは明確に伊予の出自とする同藩の大野氏と合わせて、やはり改めてまとめてみたいと思います。

注釈

  1. 西尾和美「伊予河野氏文書の近江伝来をめぐる一考察」(『四国中世史研究』第10号
  2. 致仕の下限は子の知真が彦根藩に召し出された明暦2年と言えそうですが、それ以前に弟の争論の相手、阿曽沼隼人助の縁戚で権勢を誇った阿曽沼就春は失脚し、正保元年には切腹となったと伝わりますので、実質的な下限は就春失脚前と言えるのではないでしょうか。
  3. 喜平次元忠(民部元真の子、景好の甥)の子に七右衛門知忠がいるほか(『萩藩閥閲録』宍戸七右衛門)、民部元真の次男就姓の孫も知徳を名乗っています(『萩藩譜録』宍戸六郎左衛門知貴)。
  4. 岡部忠夫『萩藩諸家系譜』平岡氏(琵琶書房、1999年)
  5. (1)より、『侍中由緒帳』からは彦根藩平岡氏の出自ははっきりしないようです。
  6. 「226 元和9年、井伊直孝、越前北庄出陣の軍団編成を定める」 「中村達夫氏所蔵文書」(『彦根市史』第6巻 史料編近世1、2002年)に広瀬左馬助組の平岡半兵衛(200石)が確認できます。

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呑舟

お久しぶりです。

彦根藩平岡氏は興味深い話ですね。
当方探索中の伊豫大野家の支流の彦根藩士大野は確認が取れましたので
同じ時期に平岡が仕官していても不思議ではないと思われます。

彦根藩の大野(直昌の弟の子)と大野直昌嫡家とされる「大坂天野屋(大野)」と
「上川村大野」は文通を江戸後期までしていたようです。

同じく大野家支流の筑前黒田藩士大野(直昌の兄の養氏)も確認が取れています。

今、紀州徳川家初代に仕えた大野家(直昌の弟直之の孫)を探索中です。
こちらも紀州藩記録が残っていました。

能島村上も大津に拠点があった時期があり、どうも滋賀県には
なんらかの拠点があり磁石に吸い寄せられるように、河野・毛利・小早川
大野の関係者が集まっているようです。
地元に史料があると思いますが、彦根城の学芸員はあまり協力的では
ありませんでした。なにか分かれば教えてください。
平岡と大野は親戚関係にありますので。

大野系図では「慶長三年江州駒井邑を秀吉から賜った」と書かれて
いますがこの駒井村が今のどこかわかりません。
by 呑舟 (2012-01-18 05:20) 

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