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包久氏再考 [人物]

小早川氏庶流のひとつである包久氏については 何度か 取り 上げ ました が、いくつかの補完史料から再度まとめてみたいと思います。

小早川時代

小早川家臣時代の包久氏について、簡単に確認してみます。 儀礼上の観点から本家筋は包久左馬―弥七郎―内蔵丞と考えられます[1][2]。 出現時期から弥七郎―内蔵丞は同一人物であり、左馬助と親子関係を想定します。

軍事面では少輔五郎(宮内少輔)景勝の姿が見えますが[3]、活動時期が左馬助、弥七郎の出現時期と重なることから、彼らとは別人と考えられます。

また、隆景末期の奉行人、次郎兵衛景相、「瀬戸」の城主として包久因幡守、この他、包久又七郎、包新、包弘などが史料上に散見されますが、相互の系譜上の位置など詳細不明です。

関が原前後

慶長4(1599)年頃が想定される毛利氏の分限帳では、包久氏では内蔵丞、弥七郎、次郎兵衛が確認できます[4]が、関が原の合戦では、包久氏について、2名の動向を確認することができます。

一人は戦後の慶長5年10月15日に、横山伝兵衛尉へ起請文[5]を書いている「包左」ですが、永禄年間に見える名乗りを継いだ包久左馬助と思われ、内蔵丞あるいは次郎兵衛のいずれかが名乗りを変えたものではないでしょうか。 その起請文の内容は伝兵衛尉が「手柄を返す」事を讃え、今後も兄弟以上に大事に扱うと約したものです。 この「手柄」とは9月23日付の毛利秀元感状[6]にある美濃、伊勢での戦功でしょうか。 この感状の末尾に

猶於国本可加褒美者也

と記されており、合戦の敗北とその後の毛利氏への処遇から、恩賞の約を履行できない事態への対応とみられます。

もう一名は「野間内海合戦首注文」[7]に現れる包久弥三郎です。 尾張国野間内海付近での合戦について、毛利氏に残る記録では乃美兵部允(景継)、村上八郎左衛門(景広)がそれぞれ小早川、村上系の水軍の指揮を取っていたことがわかります。

この弥三郎は先の分限帳にも現れず不明な存在ですが、水軍を率いていることから、宮内少輔景勝との関係が疑われます。 弥三郎の名は後年の史料から意外な形でみることになります。

関が原以降

関が原合戦以降、包久氏の名が毛利本家内で見られることはほぼなくなりますが、包久内蔵丞は細川氏への下へ移った形跡が残ります[8]。 村上氏、乃美氏の縁戚関係からみて、包久内蔵丞、乃美主殿、村上助右衛門らは皆、景広と同時かその後の誘いを受けて、細川氏へと移ったものでしょう。 長府藩包久氏の伝える系譜では、内蔵丞は慶長6年に豊前宮熊で亡くなったと伝えます[9]。 そしてこれ以降、重用された景広、景則親子、乃美景嘉らとは異なり、細川家中でも包久氏の存在は確認できなくなるように思われます。

黒田氏家臣として

一方、福岡藩黒田氏家臣として一時期包久氏の姿を確認できます。 「元和初年人数付」[10]では吉田宮内組で包久藤兵衛が200石、高原二郎兵衛ら船手関係者と思われる中に包久弥三郎が100石と記されています。 元和9年の分限帳においては吉田宮内組に包「文」藤兵衛が200石とありますが、もう一つの元和9年分限帳では包久氏の名はありません[11]。

逆にこれ以前の分限帳に名前は見えず、黒田氏へいつ頃仕えたのかは不明ですが、他の史料から黒田家中での包久氏の存在は慶長年間に溯ることが可能です。

慶長5年に伊勢へと進出していた包久弥三郎ですが、彼の名前が景勝であること、そして別の一面を持っていることが「麻生家文書」に含まれる文書からわかります。 福嶋六太夫宛の蹴鞠免許状[12]がそれであり、かつては海の上を舞台に戦っていた弥三郎が一方では蹴鞠という芸事に親しんでいたことがわかるわけです。

また、さらに慶長14(1609)年に遡ると野島衆の一人、庄林家が伝えた「黒田長政船手割符状写」[13]では高橋彦次郎(匡順)分のうちで、ただ一人名前をあげて下記のとおり記されます。

扶持方十人之分
一 弐人     包久藤兵衛

同様に平井善右衛門(秀則)分でも野島衆と思われる人名を含む何名かが名前を挙げて記されていることから、包久藤兵衛は与力のような立場で高橋彦次郎指揮下にあったものでしょうか。 いずれにせよ、この時点でも包久氏が船手としての側面も持っていたことも確認できます。

慶長末期には弥三郎、藤兵衛の2人が福岡藩にあったことは分かりますが、系譜上の位置付け、2人の関係などはわかりません。 逆に寛永年間以降の分限帳に包久氏の名前は見えず、黒田家中を離れたか、何らかの事情で姓を改めるかなどの事態があったものと思われますが、その点については未確認のままです。

享保年間の長府藩包久氏に藤太夫景義の名が見えますが、これが藤兵衛と関係のある人物かもしれません[14]。

尾張徳川氏家臣

『士林泝洄』の古屋氏系譜[15]では景春の兄、嘉兵衛は池田家中にあった旨、記されています。 実際、慶長18(1613)年の池田氏の分限帳[16]には小性(姓)無役、300石取り古屋加兵衛の名前が見えますので、この点については尾張藩古屋氏の伝える通りといえるのでしょうか。 また、同じく200石取りの兼久小次郎の姿も見えます。 この分限帳には内蔵丞と毛利家臣の勧誘に当たった「三刀屋」と同一人物と思われる三刀屋監物(孝扶)の存在も見えることから、このあたりのつながりで池田氏へ仕えたものかもしれません。

内蔵丞の父

長府藩、尾張藩いずれも系譜上では内蔵丞の父として阿波守親信という人物を示します。 長府藩の系譜にある、さらにその父を村上武吉と置くのは荒唐無稽としても、この親信については何らかの根拠があるのでは、と考えていたところ、意外な場所からもこの名が見えてきました。

森藩久留島氏に仕えた浅川氏は来島城から通総を落ち延びさせたとも伝える家臣ですが、元は村上氏であるとのことです。 その「浅川系図」では、村上雅房の子、河内守義統、その子として阿波守親信が現れ、これを元祖とするようです[17]。 世代としては、来島通総と共に討死している内蔵高頼が4代、通総の来島脱出を助け、初期の久留島藩政にも係わった六助高明が5代に置かれるとのことですが、これをそのまま見ると阿波守親信は15世紀の人物という感覚でしょうか。

他方、近世に萩藩船手組を率いていた能島村上氏の当主広武が、父祖縁の地、上関に建てた常夜燈が今も残りますが、そこには阿波守吉敏の名前が見えるようです[18]。 村上義顕が城を築き、三子吉敏、さらに対馬守武満が引き継いだと碑銘にはありますが、一方で上関と縁のある刑部少輔武満の直系を名乗る源右衛門充長は武満以前を不明としているとのことです。

このようにみると、その実態は不明ながら、瀬戸内の水上で活躍した「阿波守」の伝承がかつて存在したのではないでしょうか。 村上氏関係者で一時史料の残る阿波守はもう一つの安房守、安房守武吉だけではないかと思います[19]。 しかし、それを小早川氏庶流である包久氏がどのような経緯で取り入れたのか、興味深いところです。

注釈

  1. 「小早川文書」473、475「小早川家座配書立」(『大日本古文書 家わけ 小早川家』)
  2. 「毛利家文書」403 毛利元就父子雄高山行向滞留日記(『大日本古文書 家わけ 毛利家文書』)、永禄4年3月26日からの元就、隆元父子の小早川氏訪問の記録。
  3. 「毛利家文書」338 (天正4年)7月15日 村上元吉外十四名連署注進状(『大日本古文書 家わけ 毛利家』)
  4. 「広島御時代分限帳」(山口県文書館所蔵、藩政文書 毛利家文庫 52給禄13)
  5. 「早良区 横山武雄資料」6 慶長5年10月15日 横山伝兵衛尉宛 包左起請文写(『新修福岡市史 資料編 中世1』、2010年)
  6. 「早良区 横山武雄資料」5 慶長5年9月23日 横山伝兵衛尉宛 毛利秀元感状((5)に同じ)
  7. 「毛利家文書」381 慶長5年9月12日 尾張国野間内海合戦首注文(『大日本古文書家わけ 毛利家文書』)
  8. 「毛利家文書」1202 10月10日 井上景貞起請文 (『大日本古文書 家わけ 毛利家文書』)
  9. 「藩中略譜」 包久氏(山口県文書館所蔵)
  10. 「元和初年人数付」(福岡地方史談話会『黒田三藩分限帳』、1980年)。なお、包久ではなく「包文」と写されて(翻刻されて)いるものもあることも包久氏が黒田藩で続かなかったことの証左でしょうか。
  11. 「筑前叢書149」元和九年十二月改分限帳(福岡地方史研究会『福岡藩分限帳集成』、1999年)が前者であり、「元和九年知行高帳」(『黒田三藩分限帳』)が後者となります。
  12. 「麻生家文書」42 慶長19年9月4日 福嶋六太夫宛 包久景勝蹴鞠免許状(『福岡県史 近世史料編1』)
  13. 「庄林家文書」黒田長政船手割符状写(『福岡県史 近世史料編1』)
  14. 「豊浦藩旧記 第二十九冊」「御役員前録」(『下市史 資料編1』、1993年)
  15. 『士林泝洄』「巻第80」 壬之部 元和新参衆 古屋氏(名古屋市教育委員会編『名古屋叢書』校訂復刻. 続編 第19巻、1983年)
  16. 姫路藩池田氏侍帳(『兵庫県史』史料編 近世1)、慶長18年播磨宰相様御代侍帳との記載があるようです。
  17. 『玖珠町史(上)』「第4編 森藩と天領(近世編) 第1章 来島氏の入部と森藩の成立」(2001年)
  18. 山内譲『海賊と海城 瀬戸内の戦国史』「第二章 海峡と港を支配した城―周防上関城」(平凡社、1997年)
  19. 武吉の官途としては掃部頭の後、短期間安房守を名乗り、その後は大和守を名乗っています。

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